キューピーのたらたら日記

日々、老後を楽しんで過ごしています。

『恋文の技術』 森見登美彦


ただの日記であった『たらたら日記』をアクセス数が多くなるというだけの理由で

無理やり映画ブログに模様替えしてもうすぐ3年になる。

以来、刻苦勉励、ヘナチョコブログからの脱却を図ってきたが、

未だ目的を達することが出来ずにいる。

そればかりか先日は、飲み屋のお姉さまに振られたショックもあり、

グダグダの記事を書いてしまい、敬愛するミチさまから、

「鬱陶しい」と罵られるに到ってしまった。

「ミチさま、鬱陶しいのはお天気だけですか?

 それとも、『たらたら日記』もお天気と同様に鬱陶しいのですか?」

と聞いてみたいところだが、あのお優しいミチさまの口から

「そうね、鬱陶しいのはキューピーさんの存在ね。」

などという言葉が漏れてくる筈も無い。

ゴメン、ミチさま、またTB貼るつもりの僕を許して


そんなこんななキューピーだが、まっとうな映画ブログにしたい、

という気持ちは常に持ち続けている。

では、なぜそれができないのだ?

熟考に熟考を重ねてみた。(ウソです。)

そして、それは学生が社会人になるために、

就活、(企業見学、採用試験、面接、内定)新社会人への企業オリエンテーション

とかとかの一連の儀式をを全部ボイコットしてしまったことに一因があるのではないかと思えてきた。

就職のために青春の魂を面接官に売り飛ばすことなく今日に至っているのだ。


若い頃僕は、

「月並みな人生なんて嫌だ。

 俺にだって何か特別な才能が埋まっているはずだ。

 それが、文学か、美術か、音楽かは知らない。

 でも、きっと「非凡」といわれるものがある筈だ。」

と突っ張っていた。

まるで、生まれてから一度も鏡を見たことのない自信過剰のブ男であった。

そして、最近になって、いろんな映画を観たり小説を読んだりして、

何も自分に限ったことではない、青春時代には誰しもがそういう妄想に

陥るものだということがわかってきた。

だが、多くの若者は社会人になったとたん、皆と同じ背広を着て、

同じセリフを吐き、常識を憲法より重んじるようになるのだ。


気がついてみれば、「非凡」と「非常識」は紙一重だった。

そして、自分はいつも「凡庸な非常識人」サイドにいるのだった。



さて、「恋文」とは非凡の極みではなかろうか?

世にあまたいる男共の中で、自分こそが一番に貴女のことを愛しているんですよ、

と愛における非凡さをアピールしなければならない。

そして、それは絶対に非常識であってはならない。

それは、女の子が一番に忌み嫌うことだからだ。


「まっとう」で「非凡」な恋文、キューピーには書けそうにありません。

この主人公と同じように。

そして、映画ブログ記事も…